過去は過ぎるが縋るもの
素直な、あの頃の感情のまま
残っているような気がします。
嬉しかったことは嬉しかったまま
嫌なことは嫌なまま
好きだった事は好きなまま
フィルターを挟まずに解釈できます
あの時のアレはきっと裏があったのかもしれないとか
そんな無粋なことを考えずに済む
14年前を重ねながら
風に消える煙を眺めて
こみ上げるセンチメンタルを
アルコールで流し込んでいました。
最近やめられないタバコの匂いに
いまは心が救われています。
たーのしかった!
人生観
自転車で事故に遭いました。
車が後ろからぼくを跳ねました。
倒れた僕はメガネを拾って、
なにが起こったのかわかった時には
車は走り去っていました。
いわゆるひき逃げです。
今日改めて自分の自転車を見ました。
後輪はぐにゃぐにゃに湾曲し
ハンドルはわけのわからない方向を向いていました。
人間に裏切られたわけですが、
考えないようにしてたんだと思います。
あの時一度僕は死んだんだと思います。
不思議な感覚なんです。
同じものを見てるはずなのに、
違う感情が湧くというか、
実感がうすいことがあります。
崩れそうな自分が耐えられなくて。
支えてくれる友人達に感謝を。
夜だからでしょうか。
暗いことだけ、書いてます。
救われない気分を晴らしてくれるのは
大切な友人達です。ありがとう。
振り幅
テンションに差のあるタイプの人間です。
差をできるだけ見せずに、
というよりは見せることができずにきました。
コントロールはきく方で、onとoffを巧く
やっていたんだと思います。
でも最近、その振り幅が。
ドーンってなってからのドーン。
コントロールできないことがちらほら。
日々精進。
でも、誰かに頼れるようになってきたのは、ほんとに助かります。
ありがとう関係各位。
恋かよ
恋をする年齢ではなくなってきました。
恋ができる、といいますか。
あの何も考えない、何にも縛られずに
ただ相手と自分の関係を築くために
全力で突っ走る感じ。アクセルだけ踏む感じ。
いまはね、標識やら目的地やら経路やらやれ高速代だの、自分の車種やら燃費やら好みだ買い替えだ、、
不必要に考えすぎるわけです。
ですが、その考え自体は僕にとって
必要なもの、になりました。
それは歳を重ねて自分に課した責任
自分のなかの理想像を守るために。
ただし、夢にまで見て一喜一憂するとは
自分もまだまだ若いのかもしれないなんて、目覚めは最悪だったものの、
すこしは紛らわせることができたので
二度寝に入ろうとおもいます。
好きな人がいるってのは本当に
いいことなのかもしれません。
心境の変化
自分のことを話すなんて考えられないし、人は苦手だし、後輩付き合いも悪い。タバコだって吸ったことあるし、お酒で失敗したこともある。
みんなが思ってくれているような人間ではない。大抵はそう。理想が先に走っていって、いつしか自分はソレを追いかけている。
心境の変化ってのは、
でも案外自分ってやつが悪い奴じゃぁ無かったことに気づけたこと。
世間は思っているより悪いもんじゃ無かったってことなのかな。
夢のカタチ
夢を追うことを無条件に応援したい。
自分が追うことはもちろん、
近しい人が、憧れ、希望を持って
夢を追う姿はとても素敵である。
ここからは相変わらずの持論だけども
夢を絶対的な一つのカタチとして
捉えてしまうと、0か1、
全か無かになってしまう。
それが勿体無いと思うのだ。
噛み砕くと、
例えば夢はサッカー選手だとする。
もちろん目指すはJ1リーグの
トッププレイヤーであり、
なんなら海外のクラブチームに
入ることだろう。
狭き門を前に、絶望を味わう事や
選択に迫られる事もあると思うのだけれど、
『サッカー選手』
が夢だけれども、もう少し深めて
サッカーで食べたい、のか
サッカーに関わる仕事がしたいのか
サッカーを続けたいのか
夢のカタチに柔軟性を持たせる事で
新しいユメに気づくこともあるんじゃないかと。
そんな風に思ったり。
ただし、一つの夢にこだわりを持って追い続け、叶えた人も沢山いて。
メディアで子供に夢を与えてくれたのはそういう人だった。
僕は一つを追いかけることが苦手だったけど、やっぱりやりたいことをやりたいので、
どうすればできるかを考えた末の自分のユメのカタチなのでした。