雑記、日記、初期の書記
じゃんけんはチョキ
いうてますけど。
なんだか、猛暑というより酷暑な日が10日ほど毎年あるような気がするけれど、
実際は朝晩の散歩を楽しむことができるくらいに過ごしやすかったりするのではないか。
もちろん日中はものすごく暑いのだけれど。
こうも暑いとまともな思考はファーラウェイしてしまってどうしようもない倦怠感と乾いた喉を冷たいサムシングでドリンキンしたい欲求に駆られる。
インターネットの繋がりさえ暑苦しくなるこの季節。だからこそ、扇風機とビールとウィスキーハイボールで
声のない会話を楽しめるメンバーと『最近どう?』なんてくだらない会話を楽しみたいものだ。
エビシンガナビオーライ。
ウィーアーフューチャー。
エビシンガナビオーライ。
エヴリィバデェ
アダルト、大人、老害、バブル世代
ナウでヤングな我々です
冷めてみてもまあ燃えてます
ホントはもう気づいてるんでしょう
エヴリィバデェMUJINA同じ穴
インダハウス
関係性の構築において重要な要素が違うのでしょう。僕は昔を知りませんから、どんな時代かなんて想像すらできません。
ゆとり世代は豊かですよ。みんな、自分に正直に生きています。自分探しという言葉は好きではないですが、中心が我なのではないかと思うのです。
我と我の関係。
熱いんです、羨ましい。
身内の考え方というか、本当に言葉の通りで、「身の内」なんですよ。我と我ではなく、自分の身の内ですから関係性としてこれすごいことですよ。
息苦しいととるか、暖かいととるか。
僕は僕の好きな人と好きなことをして生きていたいとおもいます。
シータとパズーが名前を呼びあうあのシーンが好き
シィイイイタァァアアア!
パズゥゥゥううう!!
シィイイイタァァアアア!
パズゥゥゥううう!!
シィイイイタァァアアア!
.........パズゥ
シータ!!!!
し)∑(゚Д゚)?!
ってあの名シーンですよ。
僕の幼少期を語る上で外せない名作ですね。1日2回はラピュタを見てましたから。平日ですよ、友達おらんのか。ほんま。
天才テレビくんとハッチポッチステーションの功績についてはまた書くことにしましょう。
あの頃はもう戻らないですから。
(突然のエモーショナル)
アリゾナのエゾシカ
んなもんはいない。
アリゾナにはアリゾナの暮らしがあるし、エゾシカにはエゾシカなりの守りたい生活があるのだろう。
もしもアリゾナの鹿(んなもんいるのか)と、エゾシカが恋に落ちてしまったら大変である。
はじめのうちは良い。お互いを思う気持ちで多少の困難など乗り越えられるだろう。
しっかし暮らすとなると気持ちだけでは心持たない。まず、どこに住む?からだ。
間を取るとどの辺りになるのか。オーストラリアとかかな。
幸いにもお互いの種は近いので食生活なんかは困らないだろう、異文化の草が口に会えば問題ない。たまには外食もいいだろうし。
うまくいくことなんてほとんどないし
うまくいかないことの方が多いけれど、
前向きに話さえできればなんとでもなると、そう思っています。
今日はすでに帰りたい。
でも帰って1人ですはことがあるわけでもないのでね、せめて気休めにでもなればと、人のいない普通電車でpredawnを聞いてこのくだらない鹿の話を書いていましたとさ。
今日もみなさんにとってより良い一日となりますように。
ジップ!
トレモロ
朝、9時代の準急に揺られている。
生き急ぐこともなくどこか穏やかなのだ。スーツ姿の人は少なく、かといって学生の姿もほとんどなく。人が少ないわけでは無いが煩さを感じることもない。主婦(であろう)の会話は全国共通なたわいのない話。どうもこの時間の流れが私は好きなようだ。
東京なら下北沢か三鷹。
静岡なら伊豆、伊東、熱海。
奈良なら山添、東吉野。
香川はまだよく知らないけど、できれば綿屋の近くがいい。
若いうちは波にもまれ、
またはうまく乗りこなし。
若いうちにと言われることを1つづつ燃やす。残った灰で酒でも作ろう。ウィスキーを飲もう。
誰かこれを随筆に訳してください。
燃えても残ったそれだけを
ただ忘れることなく生きて行けばいい。
何が残るかは燃やしてみないとわからないから難儀やなあ
3月のうさぎ4月のライオン
2月は逃げていくといいますけども
本当にあっとゆうまに去ってしまったのでした。
「やりたかったことか?」と二言目に聞いてきたあの人がいる店は相変わらずのマイペースでみんなを受け止めていました。
自論などまだまだ持ち合わせていないので、会いたい人に会いに行こう。たくさんの人と話そう。そう思った次第でした。
とんでとんでの曲名は今日も思い出せない
とんでるんじゃない、落ちてるだけだ
カッコつけてな、、
ぐらいいいたいものです。
どちらかというと『ほら!みて!ぼく!とんでるから!ほら!!ほらほら!!いま!これ!とんでるよね!!』
ってしちゃうので。
奈良では一年になんどかしっかりと雪が降ります。滅多にないことですが積もることもある。
自転車通学わっほいな高校生だったあのころは、3時間かけて、雪の中自転車を押して帰ったこともありました。
あの時間は無駄じゃないんだよなあとおもいます。なにかに一生懸命に取り組んで積み重ねた時間と同じくらい、あの一見何もない3時間がいまの自分を作っている。
辿り着く場所のない会話や、ぼうとしながら考えたくだらない事のほうが、実はじぶんの根底を作っているのだと。
雪は雨と違った降りかたをします。
落ちているよな、舞っているような。
やねのあるところからだからそう思うのであって、つま先が濡れて凍えそうな私は恨めしそうにその雪の中を歩いているのでし